フィリピンのマニラからプロペラボートで5時間の距離にあるリナパカン島には、無国籍のまま人生を強いられている日本人が暮らしています。沖縄出身の父とフィリピン人の母を持つ森エスペランサさんとリディアさんの姉妹は、戦前のフィリピンに多くの日本人が移住し、現地のフィリピン人と結婚して家族を持つ人々がいた時代に生まれました。しかし、日米海戦の影響で生活は一変し、彼女たちの父親は戦士となり、家族は日本人であることを隠さざるを得なくなりました。
終戦後も、森姉妹のように無国籍として生きる人々が多く残されています。フィリピンでは、子供は父親の国籍に属するという法律がありましたが、戦中の混乱で親の関係を証明する書類が失われ、無国籍の状態となった残留日本人二世が数多く存在します。森姉妹は、日本国籍を取得したいと願い続けています。「父が日本人だから、日本人の血が私にも流れている」と彼女たちは語ります。
長年にわたり、フィリピンの残留日本人の国籍回復に尽力している弁護士の川井之氏は、これまで319人の国籍回復を実現してきました。「自分のアイデンティティや国籍は非常に重要です。日本人として祖国を認めてほしいというのは根源的な人間の要求です」と彼女は強調します。
日本政府は過去に何度もこの問題を取り上げてきましたが、具体的な救済策が講じられることはありませんでした。フィリピンの残留日本人は、今なお400人近くが無国籍の状態で生活しており、国籍回復が急務です。これに対し、無国籍のまま残留日本人の一括救済を求める活動を続けてきた寺岡カルロスさんは、「僕らは戦争に巻き込まれた被害者です。日本政府は助けてくれなかった」と訴えます。
フィリピン日経人リーガルサポートセンターの井氏は、森姉妹の父親の証言を元に調査を進め、戦前にフィリピンに渡ったパスポート記録を発見しました。これにより、姉妹の国籍回復のための証拠が少しずつ揃い、昨年9月には彼女たちの国籍が回復しました。森姉妹は「嬉しくてたまりません。日本人として受け入れられたことに感謝します」と喜びを表現しました。
しかし、フィリピンにおける残留日本人の高齢化が進んでおり、国籍回復の必要性が高まっています。2023年3月末の時点で、フィリピンの残留日本人は1815人おり、そのうち国籍を回復した人は1615人ですが、無国籍のまま亡くなった方が1799人もいます。このままでは問題が解決するどころか、無国籍の人々が消滅してしまう危機感が広がっています。
昨年5月、日本大使館の花田高寺が残留日本人を訪問し、国籍回復に向けた支援を約束しました。また、外務大臣も国籍回復のための情報収集の重要性を強調しています。しかし、国籍回復のためには財務省の調査支援や証拠資料が必要であり、全員を救うには限界があります。フィリピン日経人リーガルサポートセンターの石井京子さんは、資料が全く残っていない人も多く、政府には政治的な決断を求めています。
戦後80年が経過し、無国籍のまま生きてきた残留日本人の方々には、一刻も早い国籍回復が求められています。彼らの声に耳を傾け、具体的な支援策を講じることが急務です。