【宮崎県で震度5弱】「南海トラフ巨大地震」確率高まった現象ではない 気象庁

宮崎県で震度5弱の地震が発生し、気象庁はその影響を分析しました。昨夜午後9時19分頃、ヒューガナを震源とする地震が発生し、宮崎県で震度5弱が観測されました。この地震を受けて、高知県と宮崎県では一時津波注意報が発表され、宮崎県内では最大20cmの津波が観測されました。   気象庁は、南海トラフ巨大地震との関連性について専門家による評価検討会を開催し、詳細な分析を行いました。その結果、午後0時45分に発表された評価では、今回の地震が南海トラフ地震発生の可能性が常時と比べて相対的に高まったとは考えられないとのことです。   今回の地震の規模は、精査の結果、巨大地震発生への備えを呼びかける臨時情報の基準であるマグニチュード7.0には達していないとされています。気象庁の会長は、この地震が巨大地震注意の発表基準の3程度と小さかったことを説明しながら、南海トラフではいつ地震が発生しても不思議ではないため、決して安心することなく地震への備えを続けるよう呼びかけました。   この地震は、地域住民にとって不安材料となる一方で、南海トラフにおける地震活動への警戒が引き続き必要であることを示しています。気象庁は、今後も地震に関する情報を迅速に提供し、地域住民の安全確保に努めていく方針です。市民の皆さんには、引き続き防災対策を講じることが強く推奨されています。

【背番号10を継承】甲斐拓也 巨人入団会見 移籍の決め手は“阿部監督の言葉”

背番号10を継承した甲斐拓也選手が、巨人に入団することを発表しました。入団会見では、阿部監督からの熱い言葉が移籍の決め手となったと語りました。甲斐選手は、「阿部監督を胴上げするために、一生懸命頑張ります」と決意を新たにし、巨人での新たなスタートに期待を寄せています。   会見では、甲斐選手が背番号10を継承することに対する光栄さを語り、巨人の一員としての責任感を強調しました。特に、阿部監督がキャッチャーの役割について「監督なんだ」と語ったことが、彼にとって大きな影響を与えたとのこと。これにより、甲斐選手は阿部監督からの期待を感じ、重圧を感じつつも、その言葉が自らの成長につながると信じています。   また、甲斐選手は自身のキャリアにおける阿部監督の存在についても振り返りました。彼は小学生の頃から阿部選手のプレーを見て育ち、その姿に憧れを抱いていたと語ります。直接アドバイスを受けることができる機会が訪れたことに感謝の意を示し、「彼のような存在感を持つキャッチャーになりたい」と目標を掲げました。   さらに、甲斐選手はチーム内での競争を歓迎し、「切磋琢磨することでチーム力が向上する」との見解を示しました。若い選手たちと共に成長し、勝利を目指す姿勢を明確にし、巨人での成功を目指すことを誓いました。   会見を通じて、甲斐選手の意気込みや覚悟が伝わる内容となっており、今後の活躍が期待されます。巨人ファンにとっても、背番号10を背負う新たなキャッチャーの登場は、大きな注目を集めることでしょう。

【解説人語】「ドクター・ナカムラを殺してしまった」 白状した男はどこに?中村哲さん襲撃事件から5年 追い続けた記者語る(元イスラマバード支局長・乗京真知)

【解説人語】「ドクター・ナカムラを殺してしまった」 白状した男はどこに?中村哲さん襲撃事件から5年 追い続けた記者語る(元イスラマバード支局長・乗京真知)   アフガニスタンでの日本人医師、中村哲さんが襲撃されてから5年が経過しました。中村さんは1980年代からパキスタンで地域医療に従事し、後にアフガニスタンに移り、清潔な水を提供するための活動を続けていました。彼の活動は現地の人々に深い感謝と尊敬を受けており、彼を「ドクター中村」と呼ぶ声が多く聞かれました。   中村さんは2019年12月4日、出勤途中に待ち伏せされ、銃撃を受けて命を落としました。彼の死はアフガニスタンやパキスタンの人々に大きな衝撃と悲しみをもたらしました。現地取材を通じて、彼がどれほどの影響力を持っていたかを知ることができました。中村さんの存在は、地域の人々にとって希望の象徴であり、彼を守れなかったことを謝罪する声も聞かれました。   事件当日、中村さんはトヨタのピックアップトラックに乗り、護衛と共に出勤していました。彼を狙った犯人は、食堂の前で待ち伏せし、白いカローラから銃撃を開始しました。中村さん以外の護衛は即死し、運転手のみが生き残りました。この運転手の証言は、事件解明にとって重要な手がかりとなりました。   犯人グループのリーダーは「アミール・ナズメード」という名の男性で、彼の行動は、アフガニスタンの部族地域での国際テロ組織の影響を受けていました。アミールは中村さんを誘拐するつもりだったが、共犯者の意向によって殺害に至ったと伝えられています。アフガニスタンの捜査機関も、アミールの動向を追っており、彼の居場所が特定されていましたが、取材中にアミールが死亡したという情報が寄せられました。   アフガニスタンの状況は、タリバン政権が成立した2021年以降、著しく変化しています。中村さんが活動していた時期は、民主主義の名の下に支援を受けていましたが、現在はタリバンが政権を握り、国の状況は不安定です。日本は長年にわたりアフガニスタンに対して支援を行ってきた国であり、今後もその技術や知識の提供が求められることでしょう。   事件の真相を追い続ける中で、記者は中村さんの意義や活動が如何に多くの人々に影響を与えたかを再確認しました。中村さんの命は戻ることはありませんが、彼の善意が無駄にされることがないように、事件の背後にある真実を掘り起こし、再発防止に努めることが求められています。中村さんを支えていた人々の生活や、その後の活動も忘れてはならない重要な要素です。